存在を仮定するOS

2025/05/06

column

私たちは日々、ものごとが「そこにある」と感じながら生きています。目の前に机があります。空が青いです。音楽が聞こえます。このような体験のすべては、「存在している何か」が「自分に感じられている」という形をとっています。しかし、それは本当に"そこにある"のでしょうか。私たちは、何かを「ある」と感じるその仕組み自体に気づいていないのかもしれません。

以前の記事では、意識には「自己と他者を区別する仕組み」があり、その区別によって「意味」が生まれるという考察を行いました。そしてそれは、世界が認識される方法を決定づけるような、ある種の基本的な構造のように感じられます。今回はその構造を、「存在を仮定するOS(オペレーティングシステム)」として捉えてみたいと思います。

意識のクオリア

意識のクオリア

意識とは何か、という問いは、科学、哲学、宗教それぞれの...

意識をOSに例える理由

たとえば、コンピュータのOSは、ハードウェアの上に「世界」を構築します。アイコンやフォルダ、ウィンドウ、カーソル……私たちが操作しているのは、物理的なチップではなく、それらをまとめあげた「仮想的な現実」です。

人間の意識もまた、五感や記憶などを統合しながら、「これは存在している」「これは自分ではない」といった区別を脳内で作り出します。そのときの「存在する」という形式そのものが、意識を司るOSによって仮定された結果なのではないかと考えられます。

存在の自動的な仮定

たとえば、誰かの話し声が耳に入ったとき、音の波だけが存在しているわけではありません。私たちはそれを「誰かがそこにいる」という形で受け取ります。物が見えるときも、「形や色がある」と感じるだけでなく、それが「何かである」として認識されます。つまり、私たちの意識は、ただの感覚的情報を受け取るだけでなく、その背後に"存在"を自動的に仮定しているのです。

仮定としての存在

仮定としての存在

誰しも自分の存在を疑う人はいないでしょう。しかし、...

このように、私たちは「ある」と「ない」を区別することができます。それだけでなく、「これは物質的な存在だ」「これは思考や感情だ」「これはフィクションだ」といった種類の違いさえ識別しています。このときの基準はどこから来ているのでしょうか。それは、おそらく私たちの意識の奥底で機能している認識構造――すなわち「存在を仮定するOS」――によって、あらかじめ形作られていると考えると理解しやすくなります。

クオリアという出力インターフェース

このOSは、視覚・聴覚・記憶などの入力を受け取り、それらを「存在する世界」として再構成しています。こうしてOSが構築した世界は、私たちには"クオリア"という形で提示されます。たとえば「赤い」「甘い」「痛い」といった主観的な感覚は、世界が「そこにある」と感じさせるための出力インターフェースとして機能しているのです。

たとえば、「赤いリンゴがある」と感じるとき、そこには赤という色のクオリアがあり、丸い形や距離感とともに「そこにある」という実感が生まれます。この実感こそが、OSが出力した"存在の仮定"を私たちが実際に経験できるようにするクオリアの働きです。つまり、クオリアは「存在仮定のユーザーインターフェース」として、私たちが世界を「ある」として生きることを可能にしています。

意識とは何か

意識とは何か

「意識のハードプロブレム」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは、...

仮想的存在との対話

さらに、現実には存在しない人工知能を利用した仮想現実上のキャラクターとの対話でも同じ図式が成立します。画面上に表示されるキャラクターの表情や言葉からキャラクターの存在を仮定し、まるで実在する人間に対するかのようにコミュニケーションできます。これは、私たちの意識が視覚的・聴覚的な情報から自動的に「他者の存在」を構成する能力を持っていることを示しています。

自己と他者も仮構的存在

こうして考えると、意識とは単なる情報処理装置ではなく、「存在」というフィクションを巧みに仮定し、それにリアリティを与える構造を備えたシステムです。そしてその中では、「自己」や「他者」といった概念さえも、脳内で構成された"存在の仮定"のひとつとして位置づけられます。意識の中に登場する"わたし"も"あの人"も、同じOSによって生成された仮構的存在なのです。

意識の中の”自己”と”他者”

意識の中の”自己”と”他者”

人間の意識とは、単なる主観的な体験ではなく、脳内...

存在判定の限界

そして、この「存在を仮定するOS」の下で働く意識では、「存在」が真にリアルかどうかを判定することは原理的に不可能です。アバターを利用したビデオ通話が本物との会話で、生成AIにより精巧に作られたビデオ画像と応答の組み合わせがフェイクであるとどうして見抜くことができるでしょうか。最近問題になっているディープフェイクを利用した詐欺は、「存在を仮定するOS」の弱点が利用されたものであるといえるでしょう。

まとめ

存在の仮定、意味づけ、自己と他者の生成、クオリアの役割――これらすべては、一つの仮想OS上で連動して動いているのかもしれません。もちろん、これは一つの比喩にすぎません。しかしOSという比喩が、意識の構造を理解するための有効な視点を与えてくれるのであれば、それは十分に意味のある仮定だと言えるでしょう。

私たちが日常的に経験している「現実」は、実は意識というOSが構築した精巧な仮想世界なのかもしれません。この視点から意識を捉えることで、私たちは自分自身の認識の仕組みをより深く理解できるようになるのではないでしょうか。

人間という意味生成機

人間という意味生成機

私たちの認知は、思っている以上に一貫した構造を持っています。その基本...


image

ご意見、ご感想などはこちらへ

連絡先・お問い合わせ

連絡先・お問い合わせ

.

QooQ