意識とは何か

2025/03/28

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「意識のハードプロブレム」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは、哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提起した問題で、「私たちがなぜ主観的な経験を持つのか」を説明するのが難しい、というものです。例えば、赤いリンゴを見たときに「赤さ」を感じること、音楽を聴いたときに「美しさ」を感じること―こうした感覚的な体験は脳の神経活動として記述できるものの、それが「どのようにして生じるのか」については決定的な説明がありません。これは「意識のハードプロブレム」と呼ばれ、今も科学的に解明されていない大きな謎の一つとされています。

意識のハード・プロブレム - Wikipedia

「意識がなぜ生じるのか」という問題は科学的にまだ決着を見ていません。私個人のことで恐縮ですが、意識の問題は子供のころから疑問に思っていました。10年以上分子生物学研究に従事した後に、因縁あって仏道に身を投じることとなって現在に至っています。そんな中で、最近の目覚ましいAIの進展を見つつ、なぜこのような進歩が得られたのかを知るにつけて、子供のころからの疑問であった「意識とは何なのか」という疑問にたいして、結局こういうことだったのではないかと思うようになりました。そして、このことは実は「信仰」ということに深く結びついているのではないかと思うに至り、科学的論証の不十分さは承知の上で、「私見」という形で「意識のハードプロブレム」に対する私なりの答えを書かせていただきます。

意識の謎に取り組むにあたり、「クオリア」という概念を説明する必要があります。クオリアとは、「赤い色を見たときの赤さ」や「バラの香りを嗅いだときの香りの感じ方」といった、主観的な感覚のことを指します。物理的なデータとして光の波長や化学物質の分子構造を測定できたとしても、それが「私が感じる赤さ」や「あなたが感じるバラの香り」としてどのように経験されるのかは説明できません。この問題が「意識のハードプロブレム」の核心にあります。

私の考えでは、意識とは「記憶の積み重ねによる創発現象」であると考えています。創発とは、個々の要素にはない性質が、それらが適切に組み合わさることで新たに生まれることを指します。例えば、機械仕掛けの時計を例にとって考えてみましょう。時計は歯車やねじなどのパーツからなりますが、どの部品も単体では時間を計測する機能を持ちません。しかし、それらが適切に組み合わさることで、それぞれのパーツにはない「時刻を知らせる」という機能が実現します。このように、個々の要素の単純な総和以上の働きが生じることを「創発」と呼びます。

創発 - Wikipedia

創発 - Wikipedia

脳も同じように、多数の神経細胞が情報を処理し、記憶を蓄積しながら相互に結びつくことで、最終的に「意識」という現象が生じるのではないかと考えられます。単なる神経活動の集合ではなく、それらの積み重ねと相互作用によって「主観的な体験」が生まれるのです。

意識がどのようにして生じるのかを考えるとき、私は「記憶の積み重ね」という点が重要だと考えます。毎日、私たちはさまざまな感覚情報を受け取り、そのたびに脳内に新しい記憶が刻まれていきます。例えば、何度も赤いものを見たり、甘いものを味わったりする中で、脳はそれぞれの体験に対応する反応パターンを記録し、過去の経験と重ね合わせながら「赤い」という体験を形成していきます。この記憶の積み重ねが、いわば情報処理の「基盤」となり、一定の限界量に達したときに、ふとした瞬間に私たちは「これが私の感じる『赤さ』なのだ」と認識するようになるのです。

さらに、脳はただ記憶を蓄えるだけではなく、そこから学んだ情報をもとに行動し、その結果がまた新たな記憶としてフィードバックされる仕組みを持っています。たとえば、赤いリンゴを見て「おいしそう」と感じ、実際に食べるという体験を繰り返すうちに、その経験が脳内にしっかりと記録され、次回同じ刺激を受けたときには、以前の体験が影響して、より正確な認識や判断ができるようになります。このようなフィードバックが働くことで、自己と他者を区別する能力が育まれ、時間の経過とともに自分自身の一貫した意識―「私」という感覚―が形成されるのです。

意識と創発

意識と創発

私は「意識は記憶の蓄積による創発現象である」と考えている。この...

また、意識や主観的な体験(クオリア)は、人それぞれの個別の記憶や経験の積み重ねによって形作られます。同じ刺激を受けたとしても、すべての人が全く同じ体験をするわけではありません。これは、私たちが生まれてから日々の生活の中で受け取る刺激や、遺伝的な要素、環境の違いによって、脳内に形成される神経回路や記憶が微妙に異なるからです。したがって、私たち一人ひとりが感じる「赤さ」や「甘さ」は、完全に共有することができない、個別でかつ主観的なものとなっています。

意識のクオリア

意識のクオリア

意識とは何か、という問いは、科学、哲学、宗教それぞれの立場から...

こう考えると、「意識のハードプロブレム」は厳密には「意識の創発プロセスの解明」と言い換えることができるかもしれません。意識は、ある瞬間に突然生じるものではなく、無数の経験と記憶の蓄積によって徐々に形成されるものなのです。ただし、この「創発プロセス」を具体的な「科学」という形で記述できるのかどうかは、私の知る限りにおいて何とも答えようがないことも付記しておきます。

また、意識は決して人間だけの特権ではありません。動物もまた、環境との相互作用を通じて学習し、記憶を蓄えていきます。つまり、ある程度の記憶の積み重ねがあれば、それがどんな生物であっても「意識」と呼べるものが生じる可能性があります。意識を持つかどうかは、特定の構造や神経回路の有無ではなく、記憶の蓄積とその相互作用の結果として生まれるものだと考えています。

意識の問題はまだ解明されたわけではありませんが、「記憶の積み重ねによる創発現象」という視点から考えることで、その謎に少しずつ光が当たるのではないでしょうか。今後の研究がこの考えを補強するのか、それとも覆すのか、非常に興味深いところです。

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