意識のクオリア

2025/04/04

column

「意識とは何か」という問いは、科学、哲学、宗教それぞれの立場から繰り返し問われてきました。しかし、どの分野も「意識そのものを体験している主体」に成り代わって答えることはできません。

外から観察したときに記述できるのは、脳内の電気的活動やパターン、自己モデルの構築といった物理的・情報的プロセスです。しかし、それが「意識そのもの」かどうかは断言できません。意識とは、他者には観測できない第一人称の体験であり、それぞれの「私自身」にとっては最も確かなものでありながら、他者にとっては最も不確かなものなのです。この矛盾が、意識を語るうえで避けて通れない本質的な特徴といえるでしょう。

意味の第一人称性

この「感じている」という事実を基盤に据えると、意味というものの本質が見えてきます。私たちが意味を感じるとき、それは単なる情報の伝達ではありません。

例えば、誰かの言葉に「傷ついた」「救われた」と感じたとき、そこには主観的な変化が起きています。意味とは第一人称のものであり、主観的で個別的な経験なのです。そして、この意味の生成が、意識という現象の核心と深く結びついていると考えられます。

本記事では、意識の中でも「意味が立ち上がる」「自己が感じている」といった構造的・生成的な側面に焦点を当てます。いわゆる「赤は赤と感じる」「痛みは痛みとして感じる」といった感覚の質感(感覚のクオリア)そのものについてではなく、自己意識や意味経験といった「意識のクオリア」とも言うべき側面を探究していきます。

AIと古典哲学の収斂

近年のディープラーニングによって作られた「生成AI」は、単語(トークン)から意味のある文章をニューラルネットワークから生成できるようになりました。生成AIが意味のある文章を生み出せるという事実は、ニューラルネットワークという手法が「意味を生み出す」メカニズムとして有効であることを示しています。

一方で、仏教における唯識の思想は、哲学的視点から意識の生成を考察し、意識が八つの意識(八識)の多層構造からなっていることを提示しました。同様の考察は、心理学者のユングが深層心理学として独立に体系化しています。

唯識の主要構造

阿頼耶識(あらやしき)
すべての経験が蓄積される記憶の貯蔵庫

末那識(まなしき)
自己執着のはたらき、「私」という感覚の源

意識
思考の場、知覚と記憶を結びつける機能

唯識とニューラルネットワークの類似性

これらの哲学的思索から生まれた意識の多層構造は、人間の中枢神経の構造を模倣して構築された現代のニューラルネットワークと驚くほど酷似しています。意識を「意味が生成する場」として捉えると、この一致は決して偶然ではないように思われます。

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以下の表は、人間の中枢神経・唯識・AIのニューラルネットワークを、「意味(意識)の生成」のメカニズムという視点で比較したものです。

フェーズ 中枢神経 唯識 ニューラルネット
I(入力) 五感からの感覚神経 五識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識) 入力層
II(抽象化) 表層シナプスによる感覚のクオリア生成 意識(思考の場) 特徴抽出層
III(統合) 深層シナプスによる自己意識による判断 末那識(自己執着) 中間層・統合処理
IV(記憶) シナプスの接続パターン 阿頼耶識(記憶の貯蔵庫) 学習済み重み
V(フィードバック) 深→表層へのフィードバック経路による予測誤差修正 縁起(相互依存的生成) 逆伝播・学習
VI(出力) 運動神経・自律神経 身識・語識による表出 出力層

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「意味(意識)の生成」のメカニズム

各フェーズの働き

I. 入力段階
外界からの刺激がそのまま取り込まれます。中枢神経系では、五感からの情報が感覚神経に入力されます。唯識もニューラルネットワークも、最初の情報源は感覚であるという点で一致しています。

II. 抽象化段階
外界の刺激を、記憶と照合できる形に変換します。中枢神経系では「感覚のクオリア」が生成され、これはニューラルネットワークでの特徴抽出と同じ役割を果たします。

III. 統合段階
抽象化された外界の情報と過去の記憶を統合し、判断を下します。脳内や唯識では、自己意識がこの役割を担います。ニューラルネットワークでも「何が重要か」を判断するのはこの層です。

IV. 記憶段階
過去の情報が蓄積されています。脳内では、シナプス結合のパターンと重みで記憶されます。これらは、ニューラルネットワークの学習済みモデル(重み)に対応しています。

V. フィードバック段階
記憶から生じた予測と実際の入力とのズレを修正する働きです。これが適正に行われないと「幻覚」が生じることがあります。

VI. 出力段階
外部に反応を返します。中枢神経系では、自己意識を介さない出力(反射、自律神経)も存在します。

意味生成のメカニズム

「意味が生まれた」という感覚は、さまざまなことがつながったときに起こるのではないでしょうか。例えば、ある情報が入力されたとき、それがどこかで引っかかって流れないと違和感を覚えます。それがスムーズに一連のつながりを通り抜けたとき、「意味がある」と感じるのです。

この感覚は、ディープラーニングにおけるニューラルネットワークの動作と非常に親和性があります。AIが文章を生成する過程では、入力されたプロンプトに対し、ノード間の重みづけに沿って、最も確率の高いつながりが選ばれ、出力が形成されます。

私たちがある情報を受け取ったとき、それが自分の中でどこかに引っかかって流れないと、違和感が生じます。それがスムーズに意味のネットワークを流れたとき、「意味がある」と感じるのです。

このことから、「意味がある」という体験は、単なる情報処理ではなく、脳内のどこかの神経回路において、その入力が強く活性化された結果としての現象ではないかと推測されます。

創発としての意識

現代的な試みとして、哲学者トーマス・メッツィンガーの自己モデル理論は非常に興味深いものです。この理論によれば、意識とは、自己というモデルが情報の流れの中から立ち上がるプロセスであり、固定的な実体ではなく生成的な場なのです。

「意味」とは、単なる情報ではなく、自己モデルとの整合的な結びつきです。他者にとっては無意味なものが、自分には深い意味を持つことがあります。なぜなら、その入力が自分の中のどこかの脳内回路を強く活性化させるからです。

他者から見れば単なる電気信号の流れですが、私にとっては「わかった!」という実感になります。だからこそ、意味とは第一人称のものであり、主観的で個別的な経験なのです。

そして、意味が生まれる場、それこそが意識なのです。自己という構造が、自己の内なる世界の中での関係性から意味を創発する、その現場なのです。

創発とは、あらかじめ定義できない関係性の中から、ある種の秩序や意味が立ち上がる現象です。しかし、創発はそれ自身には実体がないため、定義しようとすると霧のように逃げてしまいます。

けれども、ある種の秩序がこのプロセスの中から自発的に構築された瞬間、その秩序が「私にとっての意味」となり、意識の発現と重なるのです。

限界と今後の課題

いわゆる「赤は赤と感じる」「痛みは痛みとして感じる」といった感覚の質感、すなわち感覚のクオリアそのものについては、まだ何もわかっていません。そうした感覚的クオリアの本質は、今後の科学や哲学の発展に委ねるしかないのが現状です。

ここでお示ししたのは、「意識とは何か」ということに対して何に注目すべきなのかという視点にすぎません。どの神経細胞が活性化すればよいのかなど、人間の脳内での具体的な意識のメカニズムについては何も言及していません。これらの点についても、今後の脳科学研究の進展が待たれます。

宗教的含意

最後に、宗教とはこうした意味の創発を助ける営みであるべきだと考えます。意味が見失われがちな現代において、自己と他者の間に新たなつながりを作り、そこに意味を立ち上げること。それが宗教の重要な役割ではないでしょうか。

宗教は、意味の生成に寄り添う構造として、人間の意識と深く関わるべきなのです。私にとって、意識とは、自己というモデルが、無数の関係性の中から意味を創発する現場であり、その意味体験こそが私が生きていることの証なのです。

そして宗教とは、その意味を他者と共有し、共鳴させていくための道なのだと思います。複数の意識が相互に影響し合い、新たな意味の創発を促進する。そこに、人間存在の根本的な意味があるのかもしれません。

おわりに

生命科学(中枢神経構造)は物理構造から、哲学(唯識)は論理構造から、情報工学(ニューラルネット)は情報処理構造から、それぞれ独立に意識にアプローチした結果、このように同じメカニズムに収斂したのは偶然でしょうか。

むしろ、これは意識という現象の本質的な構造を、異なる角度から捉えた結果として理解できます。意識とは、情報の流れの中から意味が創発する場であり、その創発のプロセスこそが、私たちが「生きている」と感じる根拠なのです。

この視点から見ると、人工知能の発展は、単に技術的な進歩ではなく、意識そのものの本質に迫る重要な手がかりを提供してくれているのかもしれません。そして、古代から続く哲学的探究もまた、現代科学と手を取り合いながら、この永遠の謎に新たな光を当ててくれることでしょう。

意識の中の”自己”と”他者”

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以前の記事では、意識を「意味が生成される場」として捉え、...


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