前回の考察では、意識を「記憶を参照して『私にとっての意味』を創生し続ける仮想世界(Virtual World)」として捉え、中枢神経・唯識・ニューラルネットが共通して示す意識生成メカニズムについて論じました。そこでは、外界からの刺激が記憶と照合・統合され、意味が創発するプロセスを整理しました。今回は、このプロセスをさらに進化の系譜に位置づけ、脳が構築する「仮想世界」という視点から、意識の本質的な構造について考察します。この考察は、意識研究における根本的な問題の理解に決定的な役割を果たします。
意識の構造
構造的制約
前回の考察にある意識生成メカニズムから導かれる最も重要な洞察は次の点です。
私たちの意識は、外界を直接認識しているのではなく、脳の演算プロセスによって再構成された「仮想世界」しか認知することができない
これは単なる認知的特徴ではなく、意識の根本的な構造的制約です。私たちが「現実」として体験しているものは、実際には脳が生存のために創生した高度なシミュレーション空間(仮想世界)に他なりません。意識の本質である「主観」は、この仮想世界を観察することを通じて、外界の情報を「意味」として受容しています。この制約は意識の作動原理そのものであり、どれほど知能が高度化しても、この構造から逃れることは不可能です。
仮想世界内の"自己"
さらに決定的に重要なことに、脳は「自己」でさえも仮想世界の中で再構成しています。私たちは自分自身を直接体験していると思い込んでいますが、実際には脳の演算によって仮想世界内に創生された「"自己"というモデル」を観察しているに過ぎないのです。この視点は、意識理解において革命的な意味を持ちます。
ここで、物理的な実体と、脳が創生した仮想世界内の情報を明確に区別する必要があります。以降、仮想世界内で再構成されたものを以下の例のように引用符で囲んで表記します。
- 自己
- 物理的に存在する生体としての自分自身
- "自己"
- 仮想世界内で再構成された自己のモデル(観察対象)
重要なのは、この仮想世界内の"自己"が、あたかもそれ自体で独立した意識システムを持っているかのように属性定義されている、という点です。つまり、仮想世界内の"自己"には、「意識(主観)を持っている」という情報が付与された状態で再構成されています。
観察者と観察対象
これによって、意識は決定的に重要な構造を持つことになります。本来の意識の本質である「主観」は、仮想世界内に再構成された"自己"や"他者"を観察する「観察者」としてのみ存在します。
この構造における観察者(主観)と観察対象(仮想世界内の情報)の関係は、根本的に非対称的です:
- 主観
- 常に観察する主体であり、決して観察対象になることはできない
- 観察対象
- 主観によって観察される仮想世界内の要素("自己"や"他者")
この非対称性こそが、意識の認知的限界の根源となります。主観は「見る主体」であって「見られる対象」ではないため、主観が主観自身を直接観察することは、構造的に不可能なのです。
自己意識の成立
ここで、「自己意識(自分が自分であるという感覚)」がどのように成立するかという根本的なメカニズムが明らかになります。主観は、脳が創生した仮想世界を観察しています。その仮想世界内の"自己"モデルには「意識(主観)を持っている」という属性が付与されています。
決定的に重要なのは、主観が仮想世界内の"自己"を観察するとき、そこに付与された意識情報を「自分自身の意識」として認識することです。なぜこの認識が避けられないかというと:
- 主観は、脳が生成した「自分の仮想世界」しか観察できない。
- その世界内で「意識を持っている」と定義された唯一の存在である"自己"を、「他者のもの」と認識することは論理的に矛盾する。
- したがって、それを「自分自身の意識」として受け入れるのは構造的必然である。
情報の階層構造として厳密に見れば、主観(観察者)と仮想世界内の自己モデル(観察対象)は別個の存在です。しかし、主観は両者を未分化に統合し、仮想世界内の自己モデルを「自分そのもの」として受容し、一体化します。
この不可避な一体化こそが、私たちが日常的に「自分」と呼んでいる現象の正体であり、主観にとって唯一到達可能な「自己」という現実なのです。一方で、仮想世界内の"他者"に付与された意識情報については、主観は「自分とは異なる場に属するもの」として区別します。この区別が、仮想世界における自他の境界を形成します。
主観の不可知性
この構造から導かれる最も重要な帰結は、主観そのものの認知は原理的に不可能であるということです。私たちが「自分の意識を内省している」と思うとき、実際には仮想世界の中に投影された「自己モデルの属性」を観察しているに過ぎません。
主観は常に観察者の地位にあり、自らを観察対象の列に加えることはできません。この制約は意識の作動原理そのものであり、いかに知能が進化しても、この構造的制約から逃れることは不可能です。ここに、意識が自らについて語る際の、根本的な「不可知性」が存在するのです。
"他者"認識の限界
仮想世界内の"他者"は、物理的に実在する他者そのものではなく、脳がシミュレートした「情報体」です。主観は、実存する他者の内面(その人自身の主観)を直接観測することはできません。他者の行動や発言、状況などを入力値として、脳が仮想世界内に「意識を持つ存在」としての属性を付与し、"他者"を再構成しているのです。
例えば、けがをしている他者を観測した場合、仮想世界内の"他者"というオブジェクトには、「痛みを感じている状態」や「助けを求めている意図」といった属性情報が書き込まれます。しかし、これらはあくまで観察者(自分)の脳が仮想世界内で定義したシミュレーション結果であり、実在する他者の内面そのものではありません。
特に複雑なのは、仮想世界内の"他者"が持っているとされる"記憶"(他者の視点や内部状態についてのシミュレーション)です。これは「脳が推測した他者の主観」という重層的なシミュレーション構造を持つため、物理的現実とのズレが生じやすい性質を持っています。仮想世界における「自他」の境界は、このように主観が直接触れられない「他者の内面」を脳が仮想世界内にどう定義するか、という処理の限界に依存しているのです。
心理現象への理解
この「主観による仮想世界観察」という枠組みは、様々な心理現象や精神症状に対して、情報処理構造の観点から新たな理解をもたらします。
解離性障害
解離性障害は、仮想世界内の"自己"モデルと、それを観察する主観との間で行われる「不可避な一体化」が機能しなくなった状態として理解できます。通常、脳が生成した仮想世界内の"自己"に付与された意識情報は、主観によって「自分自身の意識」として受容されます。しかし、この受容・一体化のプロセスが切断されると、仮想世界内の"自己"が「自分とは無縁の客体」として観察されるようになり、その結果として自己の一貫性が失われるのです。
サイコパシー(精神病質)
サイコパシーにおける他者への共感性の欠如は、仮想世界内における"他者"の再構成プロセス、特に「主観的属性の付与」が不全であることと関連している可能性があります。仮想世界内の"他者"オブジェクトに対し、感情や痛みといった内部状態の属性が十分に書き込まれない場合、"他者"は主観的な体験を持つ存在としては認識されず、単なる「物理的な行動パターン」としてのみ処理されます。この情報処理上の欠落が、対人的な共感の不在として現れると考えられます。
意識構造の理解
この「仮想世界観察説」は、意識の構造について新たな理解を提供します。意識の主観性や第一人称性は、意識が外界を直接観察しているからではなく、脳が創生した仮想世界しか認知できないという構造的制約に由来するのです。
そして決定的に重要なことは、主観は常に観察者の地位にあり、決して観察対象になり得ないということです。私たちが「自分の意識を知っている」と確信するとき、実際には仮想世界内の"自己"モデルに付与された属性を観察しているに過ぎません。主観そのものは、その構造上、認知の光を当てることのできない不可知の領域に留まり続けます。
前回提示した中枢神経・唯識・ニューラルネットから示唆された意識モデルは、このような構造的制約を持つ意識の本質を理解するための重要な手がかりを提供しています。意識とは、脳が仮想世界において「自己」さえも情報として再構成し、その"自己"に付与された意識情報を、主観が構造的必然性によって受容し、一体化することで成立する、極めて精巧な現象なのです。
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