相互作用を「物」と見る脳

2025/07/29

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私たちが日常的に「存在」と呼んでいるものは、実際には世界に実体として固定的にあるものではありません。それは物理現象の中で生じる相互作用のパターンに過ぎないのです。しかし、人間の認知システムはこの複雑な相互作用を「物」として認識し、あたかもそれが絶対的な実体であるかのように私たちに感じさせます。私は、この認識構造を「存在を仮定するOS」と呼んでいます。

存在を仮定するOS

存在を仮定するOS

私たちは日々、ものごとが「そこにある」と感じながら生きて...

物理現象としての「存在」

現代物理学の視点から世界を眺めると、そこは私たちが直感的に思い描く「粒子や物体の集まり」ではありません。むしろ、「場(フィールド)」の重なり合いと歪みによって構成された連続体なのです。私たちが「電子」や「陽子」と呼んでいる粒子でさえ、量子場の励起として一時的に現れる波のパターンに過ぎません。

さらに注目すべきは、質量という概念も固定的な実体ではないということです。アインシュタインの相対性理論が明らかにしたように、質量はエネルギーに変換可能な一つの形態であり、「絶対に壊せない粒子」という古典的な概念は、高エネルギーの相互作用によって容易に破綻してしまいます。

この事実は重要な含意を持ちます。物理現象として見たとき、「これ以上侵入できない絶対的な壁」のような確固たる存在は、実は存在しないのです。私たちが触覚で感じる「硬さ」や「侵入できなさ」は、手の表面の電子と対象物の電子が電磁相互作用によって反発し合うという、純粋に相互作用的な現象に過ぎません。

「存在」として認識する理由

それにもかかわらず、私たち人間は「ここに机があります」「この壁は固いです」といった極めて明確な実体感を持ちます。この一見矛盾する現象は、どのように説明できるでしょうか。

この謎を解く鍵は、進化の歴史にあります。人間を含む生物は、周囲の環境を迅速かつ正確に把握できなければ生存することができません。複雑な相互作用の連続体として存在する世界をそのまま認識しようとすれば、情報処理に膨大な時間がかかり、捕食者から逃げることも、食物を見つけることもできなくなってしまいます。

そのため、進化の過程で、複雑な現実を「物体」「境界」「空間」といった単純化されたモデルに置き換えて認識する方が、行動計画や危険回避において圧倒的に有利だったのです。この適応の結果、私たちの脳は「触れられない境界があるもの=実体」として世界を分節化する認知システムを獲得したと考えられます。

これが、私が「存在を仮定するOS」と呼ぶシステムです。

認知的仮定としての「存在」

このOSの働きを詳しく見てみましょう。このシステムは、複雑な物理現象を「そこに物があります」というわかりやすい形に変換する優秀な翻訳装置として機能します。しかし重要なのは、この「物があります」という感覚が、あくまでも脳の内部で構築されたモデルに過ぎず、必ずしも物理的な実体と一対一で対応していないということです。

例えば、机に手を置いたときに感じる確かな「存在感」を考えてみましょう。この感覚は、電子の斥力、光の反射、分子の振動など、様々な相互作用のパターンが安定的かつ予測可能であるために生じる認知の産物です。つまり、「存在する」ということは、認知システムが安定的な相互作用パターンを「実体」として解釈している状態に他なりません。

この視点から見ると、「存在」とは客観的な事実ではなく、むしろ主観的な認知的仮定であることがわかります。

仮定としての存在

仮定としての存在

誰しも自分の存在を疑う人はいないでしょう。しかし、本当にそれは確実なの...

現代社会への影響

この「存在仮定OS」は生存に必要な優秀なシステムですが、同時に明確な限界も持っています。

現代のテクノロジーが生み出す仮想現実、ディープフェイク、高精度なホログラムなどの人工的な刺激に、私たちの感覚が容易に騙されてしまうのがその証拠です。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

答えは、OSの判断基準にあります。このシステムは相互作用の安定性と予測可能性をもとに「存在」を判断するだけで、その背後にある実体の有無を直接検証することはできません。つまり、十分に精巧に作られた偽物であれば、OSは本物と区別することができないのです。

この現象は、「存在」という概念が絶対的な真理ではなく、あくまで人間の認知OSが生み出す便宜的な仮定であることを示しています。現代社会において情報の真偽判定が困難になっているのも、この認知システムの構造的限界と無関係ではないでしょう。

「存在」を迂回する聴覚

しかし、興味深いことに、五感の中で一つだけ、この「存在仮定OS」の影響をあまり受けない感覚があります。それが聴覚です。

視覚や触覚が「ここに何かが存在します」という実体感を強く意識させるのに対し、聴覚は根本的に異なる特徴を持っています。聴覚は、物体の存在よりもむしろ、関係性そのものを直接感じ取る感覚なのです。

この違いは、音楽体験を考えると明確になります。私たちが音楽を聴いて深い感動を覚えるのは、そこに何らかの「存在する物体」があるからではありません。異なる音の波長、リズムの組み合わせ、和音の響きといった純粋な関係性のパターンが、直接的に脳に「美しい」「心地よい」「哀しい」といった感覚を呼び起こすからです。

「存在」を超越する

音楽の特殊性は、「物」という実体概念を一切必要とせず、純粋な関係性だけで人間の感情を深く動かすことができる点にあります。これは極めて重要な発見です。

言い換えれば、音楽は私たちの「存在仮定OS」を巧みに迂回して、関係性の美しさを直接的に感じさせる稀有な体験なのです。この瞬間、私たちは「存在」という概念の制約から一時的に解放され、より根本的な関係性の世界に触れることができます。

これは深い哲学的含意を持ちます。物理現象の本質が相互作用のパターンであるように、人間の感性もまた、実体を超えた関係性の次元において最も豊かな体験を得ることができるのかもしれません。音楽は、私たちの認知システムが持つ「存在仮定OS」という制約を超越し、より純粋で根源的な美の体験へと導いてくれる貴重な窓なのです。

この視点から見ると、芸術や美的体験の意義も新たな光の下で理解することができるでしょう。それらは単なる娯楽や装飾ではなく、私たちの認知の限界を超越し、世界のより深い層に触れるための重要な手段なのかもしれません。


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