「社会が悪い」「時代が悪い」——そんな言葉を口にしたくなることがあります。
努力しても報われない、真面目に働いても生活は苦しい。誰かが悪いとでも言いたくなるような状況は、現代では決して珍しくありません。
けれど、「社会が悪い」という言葉には、思考を一つの方向に固定してしまう危うさもあります。
それは、自分が抱えている苦しみや悩みを、見えなくしてしまう可能性があるのです。
深夜に聞いたひと言
こんな話を聞いたことがあります。
夜遅くに仕事を終えた若い男性(Dさんとします)が、コンビニに立ち寄ったときのことです。
中に入ったものの、買うものは特にありません。ただ暖かい空間に少し身を置きたくて、ぼんやりと立ち読みをしていました。
そこに、警備員の男性が通用口から出てきて、ふとDさんに言葉をかけました。
「おつかれさん。こんな時間まで、大変だな。」
それだけの、なんということもないひと言です。
でもDさんは、それを妙に印象的に感じたといいます。
気持ちを縛っていたもの
その日のDさんは、仕事がつらくて、何もかもが嫌になっていました。
報われない。生活は苦しい。先が見えない。
「社会が悪いのだから、もう少しずるく立ち回ってもいいんじゃないか。」
そんな思いが、ずっと頭に浮かんでいたそうです。
でも、その夜の警備員のひと言が、自分を少し冷静にさせてくれました。
「今の自分を“がんばっている人”として見てくれる人がいる。」
主語を外すと見えてくる
家に帰ったDさんは、改めて自分の気持ちを整理してみました。
何かが悪いからといって、ずるく立ち回ってもいいのだろうか。ただ、イライラの行き場がなかったとは思う。すると、「誰かにわかってほしかった」「疲れていて、自分を守る余裕がなかった」といった、もっと具体的で正直な思いが見えてきたのだそうです。
つまり、Dさんは自分の中の怒りや不満の正体が、「社会への批判」ではなく、「つらいことを、誰にもわかってもらえない寂しさ」だったことに気づいたのです。
これは、「社会が悪い」という言葉から「社会が」という主語を外したことに他なりません。
このように、主語を一度外してみることで、思考のかたちが変わることがあります。
攻撃的な言葉の裏に隠れていた、本当に伝えたかった自分の気持ちに、少しずつ気づけるかもしれません。
そうして本当の気持ちに気づいたとき、自分の中に、もう一度前を向こうとする小さな力が芽生えてくることがあります。
「社会が悪い」は認知のゆがみ
心理学では、こうした考え方の偏りを「認知のゆがみ」と呼びます。
「社会が悪い」と決めつける思考は、「ラベリング」(物事を一面的に決めつける)や「白黒思考」(中間を認めない)といった傾向に分類されます。
認知の歪み - Wikipedia
「社会が悪い」と決めつけることが悪い、と言っているのではありません。
ただ、それを信じすぎると、自分自身のつらさや感情を見つめる機会を失ってしまう。
だからこそ、一歩引いて「社会が」という主語を外すことが、思考の自由度を取り戻す助けになるのです。
もしあなたが「社会が悪い」と感じているとき、
その裏にある“本当に言いたいこと”は何でしょうか?

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