「通じなさ」に直面するとき
職場や日常のやり取りのなかで、「話が通じないな」と感じる瞬間は誰にでもあると思います。そう感じたとたん、言葉にすることを諦めたくなったり、説明しても無駄だと感じたりする。気がつけば、相手の言動を評価するよりも、人格や思考そのものを否定的にとらえてしまうこともあります。
ある企業で働く中堅社員のCさんは、そんな経験をある会議でしました。その出来事が、「主語が思考に与える影響」について考えるきっかけになったと話してくれました。
否定されたと感じた会議
Cさんは新製品の企画を担当していました。若年層向けの新たな切り口で、営業部に提案を持ち込んだものの、現場のベテランたちからの反応は冷たく、すぐに却下されてしまいました。
「それ、売れるとは思えない」
「うちの客層とはずれてるよ」
「混乱するだけじゃない?」
しっかりと準備してきたCさんにとっては、まるで話す前から拒絶されたような印象でした。そのとき、心に浮かんだのはこんな言葉でした。
「この人たちは、話が通じない」
主語を外すと、問いが生まれる
この言葉の中には、相手に対する評価と、その評価に基づく結論が込められています。「通じない」のではなく、「この人たちが通じない」となると、問題の所在が相手に固定されてしまうのです。
ところがCさんは、その思考の構造に気づき、試しに「主語を外して」みました。
「話が通じない」
たったそれだけの違いですが、「通じなさ」を相手の人格に帰属させるのではなく、出来事として切り出すことができた。そうすることで、「なぜ通じなかったのか」「通じるように伝えるにはどうすればよいか」という問い直しの余地が生まれたのです。
視点が変わると行動も変わる
Cさんは次の会議で、伝え方を工夫してみました。現場での導入フローを具体的に説明し、顧客の反応も数字で補足したところ、前回とは明らかに違う反応が返ってきたといいます。
「それなら混乱しないね」
「案外いけるかも」
「試してみようか」
相手が変わったわけではありません。変わったのは、自分の言葉の構造と思考のアプローチだったのです。
「話が通じない」の奥にある構造を見る
「この人たちは話が通じない」という言葉は、相手と自分の関係を固定してしまいます。そこに問いはなく、あきらめが生まれ、視野が狭くなる。主語を外すことで、それが一時的な現象である可能性が見えてきます。
主語を外すとは、相手を許すことでも、自分の感情を否定することでもありません。ただ、自分の思考が閉じてしまうのを防ぎ、少しだけ視野を広げるための手がかりなのです。
これは「認知のゆがみ」
こうした思考のパターンは、心理学では「認知のゆがみ」と呼ばれるものの一つです。「この人は通じない」といった表現は、相手にネガティブなラベルを貼ってしまう ラベリング の例であり、また「通じる/通じない」という二分法で判断してしまう 白黒思考(全か無か思考) の側面も含んでいます。
認知の歪み - Wikipedia
「主語を外す」というシンプルな方法は、こうした認知のゆがみをほどく手がかりになります。たったひと言の中にある構造に気づくことで、思考の幅が少しだけ広がる。それが次の一歩につながることもあるのです。

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